社会生態学者・翻訳家 上田惇生さん
Social Ecologist, Translator
「翻訳家の第1のお客さんは『読者』であり、第2が『原著者』です。同業者に言い訳をするような翻訳をしていてはいけません。原著者が本当に言いたいことを日本の読者に伝えるのが、私たちの仕事なのです」
「現代経営学の父」と呼ばれたピーター・ドラッカーの著作を、約40年間訳し続けてきた上田惇生さん。自らも経済の専門家であり、生前のドラッカーと親しく交流。翻訳に関しては絶大な信頼を寄せられていたという。そんな上田さんに、ドラッカーとのエピソードや、翻訳家として心がけるべきことなどをうかがった。
Q .
翻訳の仕事はどのようにして始めたのですか?
A .
大学の経済学部を出て経団連に就職したのですが、「経済の勉強をするには経済の翻訳をするとよい」と言われ、翻訳が仕事の一部になりました。元々本は好きで、中学生のころから1日1冊は読むようにしていたので、そのことがずいぶん役に立ったと思います。また、大学時代には1年間アメリカに留学し、英語で経営学を学んでいました。
仕事ではC.N.パーキンソンやエズラ・ボーゲルなど(* )の本を手がけ、その中にドラッカーの本もありました。彼のManagementという大著を訳したとき、ドラッカーに、「まとめて訳すことができる。日本語の抄訳版を出さないか」という提案をしたのです。すると「ぜひやってみてほしい」という返事が来て、本を出すことになりました。それ以降、長年にわたるドラッカーとのやりとりが続き、現在700枚以上のFAXが残っています。
(* C.N.パーキンソン:イギリスの歴史・政治学者、エズラ・ボーゲル:アメリカの社会学者)
Q .
ドラッカーの英語の特徴は?
A .
彼はオーストリアの出身で、27歳のときにアメリカに移住しています。母国語であるドイツ語の影響か、硬めのゴツゴツした文章で、その感じは私の翻訳にも表れていると思います。
翻訳とは、原著者の英文にのめりこんで、それを自らの日本語に反映させて表現する仕事です。誰の本を訳すときにも同じ日本語でいいということはなく、著者によって、本によって調子は変わってくるものです。私はいつも、「本人が日本語を話せたらどう言うか」ということを念頭に置いて訳しています。
Q .
経済書を訳すときに心がけるべきことは何でしょうか?
A .
これは、どんな分野でも同じだと思いますが、まず、その本に関係のある分野について、50冊程度の本を読むことです。今はインターネットのおかげでだいぶ情報収集が容易になりました。その分野について、自分で書き下ろしの本が1冊書けるくらいの知識を身につけたいものです。そうすると、その分野で使われている言葉はどのようなものか、訳者としてどのような言葉を選べばいいかがわかってくるのです。
また、たいていの訳者にとって、訳すときに思い浮かぶのは、原著を読んでいる同業者の顔ではないでしょうか。「読者の顔」ではないのです。怖いのは誤訳を指摘されることで、誤訳でないことを明らかにしたいがために、日本語としてのわかりやすさを犠牲にしてしまったりします。
翻訳家の第1のお客さんは「読者」であり、第2が「原著者」です。同業者に言い訳をするような翻訳をしていてはいけません。原著者が本当に言いたいことを日本の読者に伝えるのが、私たちの仕事です。
Q .
実際の翻訳で注意するべきことは何でしょうか?
A .
まず、英文和訳に関する思い込みを捨てることです。例えば、関係詞が含まれた文を訳すとき、学校では「○○するところの〜」と後ろから訳すように習うと思いますが、翻訳ではできるだけ、原文の順に頭から訳すようにしてください。一番言いたいことは前にあるのですから、わざわざ後ろから訳していたのでは、読者に対して不親切です。やはり大事なことは先に伝えられるようにしたいものです。
また、英語と日本語は1語1語対応するものではなく、どう訳すかは、その場に応じて判断しなければなりません。例えば、very beautifulは「とても美しい」より、ただ「美しい」と訳したほうがよい場合が多々あります。日本語の文章で何かが美しいということを表現したいときに、あえて「とても」などとつけるでしょうか。ただ「美しい」と言っただけのほうが、より美しさを強調していることも多いのです。
achieveという単語はどうでしょうか。マネジメントの役割の一つに、To make work productive, worker achieving.というものがあります。make work productiveは「仕事を生産的なものにする」ということですが、make worker achievingはどうすればいいでしょうか。ぴったりした日本語がないという、困ったケースもあるわけです。辞書にはachieveの意味は「達成する」「成功を収める」とありますが、これではどうもしっくりきません。ぜひ、どのような言葉がいいか、考えてみてください。
言葉に対するセンスを磨く方法としては、何と言っても多読をお薦めします。スポーツで上達するには体を鍛えることが重要なのと同様、いい文章を書きたいのならば毎日たくさんの文章を読むことです。そのうちにいい日本語が身に付きます。翻訳とは、言語を移し変えるのではなく、日本語という言葉を磨く仕事なのです。
ものを創り出す仕事は、机の前に座っているだけではうまくいかないこともあります。私はジムに通っているのですが、運動しているときにパッといい訳がひらめいたりしますよ。
Q .
今後のご予定について教えてください。
A .
ドラッカーは2005年に95歳で亡くなりましたが、その直前まで、現役で仕事をしていました。彼は日本の若者にも人気があり、今私は、そういった人たちのために『ドラッカー入門』という本を執筆中です。ドラッカーについてわかりやすく語ると同時に、私とドラッカーの交流についても触れるつもりでいます。
また、ドラッカーの代表作を訳し直した「ドラッカー選書」の刊行も予定しています。10年も前に訳したものを見直すと、いろいろ不満が出て、訳し直したくなるものです。私は、1文1文の推敲にはかなり時間をかけます。よりわかりやすくするために日本語に磨きをかけます。その過程が結構楽しいんですよ。
生前のドラッカーと
上田惇生(うえだ あつお)
1938年埼玉県生まれ。61年、アメリカのサウスジョージア大学経営学科に留学。64年慶應義塾大学経済学部卒業、経団連事務局入局。同会長秘書(調査担当)、国際経済部次長、広報部長、(財)経済広報センター常務理事を経て、現在、ものつくり大学名誉教授、立命館大学客員教授、ドラッカー学会代表。
『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか
はじめて読むドラッカー(自己実現編)』
P.F.ドラッカー 著、上田惇生 編訳
(ダイヤモンド社/定価1890円)
ドラッカーを初めて読む人に最適な本。ドラッカーの広大な世界を理解するための足掛かりになる。ドラッカー自身が過去の著作に加筆・削除・修正を行い、日本語版ではさらに上田氏が日本の読者に読みやすいよう編さんを行っている。
→『プロフェッショナルの条件』を買う
『ドラッカー365の金言』
P.F.ドラッカー 著、ジョゼフ・A・マチャレロ 編、上田惇生 訳
(ダイヤモンド社/定価2940円)
ドラッカーの言葉を1日1ページ、365日分収録。わかりやすくしかも奥が深いドラッカーの名言を、上田氏ならではの考え抜かれた簡潔な訳で表現。経営者やビジネスパーソン以外の人が読んでも面白い、人生哲学が語られている。
→『ドラッカー365の金言』を買う
『ドラッカー わが軌跡』
P.F.ドラッカー 著、上田惇生 訳
(ダイヤモンド社/定価1890円)
オーストリアに生まれてフロイトに出会い、ヒトラーにインタビューしつつ全体主義の危険性を予測、という劇的な生涯を送ったドラッカーの、事実上の自伝。ゼネラル・モータース(GM)の会長などアメリカの名経営者も登場、20世紀の歴史を振り返るかのような面白さがある。
→『ドラッカー わが軌跡』を買う